アーケードゲームという文化を考えた場合、忘れちゃいけない『脱衣麻雀』というジャンル。
そんな脱衣麻雀の中でも、真っ先に思い浮かぶのは「スーパーリアル麻雀PⅡ(パート2)」である。

srmp0055 © SETA 1987

昔からずっと自分はこのタイトルに疑問を持っていた。何がスーパーリアルなのか。完全なイカサマ麻雀じゃないかと。
攻略の基本としてはコンピュータを怒らせないよう、安い点数でコツコツ上がるしかなかった(と思う)が、結局のところは運次第である。
なにしろ、コンピュータはその気になれば「立直、自摸、ドラ8」なんかであっさり取り返してくるので、持ってる点数は関係なかった。

麻雀ゲームとしては無茶苦茶なのだが、それでもついついやってしまう魅力がある。
やっぱり女の子(ショウ子)のアニメーション・声がツボを押さえているからか。
当時は高校生であり、ちょうど麻雀も覚えたての頃。「ひと勝負するか」的な感覚でよくやっていた。幸い、私が通っていたゲーセンでは20円/1プレイの安いお店だったので手軽にできたというのもある。これが100円とかだったら「きったね~、金返せ」って感じでしょうね。

牌のグラフィックも綺麗だった。特に索子の緑色がガラスのような透明感があり好きだった。
アニメーションで言うと、牌をかき混ぜて山積みをするときに、表を向いた牌を手のひらで撫でるだけで裏返るというのがあり、「こんなんできるかよー!」と友達同士でツッコんでいた。

これ以降、脱衣麻雀は百花繚乱の様相を呈していくわけだが、やっぱりPⅡの功績は大きかった気がする。
で、冒頭の疑問「何がスーパーリアルなのか」って、もしかして麻雀じゃなくて脱衣のこと?そーだったのか!

レトロゲームを語る上で、これは外せないだろう。
不条理ゲームの代名詞、クレイジー・クライマーである。
始めに断っておくが、このゲームにおいての “不条理” とは最高の褒め言葉であって、決してけなしている訳ではない。

ccli0001 © Nichibutsu 1980

思い出に残っているのは、これだけの特殊な内容にも関わらず、本作を模した電子ゲームが相次いで売りだされたことである。
中にはちゃんと2本のレバー付きの意欲作(?)もあり、内容は簡略化されていたものの、十分にクレイジー・クライマーの雰囲気を味わうことができ、持っていた人が羨ましかったものである。

なぜこんなにも人気だったのか。
やっぱりみんな高いところに登るのが好きなんだろう。高いところに登るというのは、人間の根本的欲求みたいなものがあるのかもしれない。この上の階には何が待ち構えてるのか、ってゲームの画面だから先(上)が見えない分、よけいワクワク思えたのだろう。
屋上が近づいてくるとヘリの音が聞こえてくるというのも秀逸だ。あとちょっとという緊張感。そして屋上に手を掛けた時の達成感、妙にリアル感があった。「登ったどー!!」感がハンパないのだ。
実際に数えたことはないが、200階くらいあるんじゃないだろうか。全くの平面でシンプルな画面なのに、妙に高所感を感じられるのが不思議だ。
画面レイアウト的にも、左側にビルの全体マップがあって、今自分はこの辺を登っているというのが分かるのが良く出来ていた。

難易度的には1面は普通、2面は激ムズ、3面はもはや “理不尽” とも言うべき難易度に変わっていく。
2面から出て来る鉄骨・鉄アレイが凶悪で、ほとんどこっちに来ないよう祈りながら登るという感じだった。あのピュルルルピュルルル…って音聞くだけで死を覚悟したくらい嫌~な音。
3面のビルのシルエットがエンパイアステートビルっぽくて、非常に興奮した思い出があるが、2面をクリアすることすらままならなかった。ちなみに3面をクリアした記憶はない。あとちょっとまでは行ったと思うが、2列しかない部分で高速に閉まる窓にやられたと思う。
神聖な山と同じで、なかなか人を受け付けてくれない。難しいが故に、高次元のビルの屋上は神々しく見えた。ちょっと大げさだけど、そんな神秘的なものを感じさせた。だから何度でも人を惹きつけたのかもしれない。

セガ・体感ゲームシリーズの集大成とも言えるこの作品。
このゲームを最大限楽しむためには、やはり前後左右に動く筐体(ダブルクレイドルと呼ぶらしい)でプレイすることだろう。
とにかくよく動く。あまりに激しく動くので、回りの人にぶつからないよう筐体のまわりに柵、というかロープで入らないようにしてあったと思う。
当然そんな大型筐体をおけるお店は限られていて、私が初めて見たのは香椎のサクセスというゲーセンだった。
そのお店は50円/1プレイが標準だったが、アフターバーナーはなんと200円で、私はもちろんずっと見ているだけであった。誰かがプレイしようものなら注目の的になってましたね。

アフターバーナーⅡ © SEGA 1987

実際に自分が始めたのは、コンパクトな筐体で(横にだけ動いたように思う)西新の「めだかの学校」というゲーセンに入ってから。体感ゲームとしては(確か)破格の50円。本当にこのゲーセンにはお世話になった。慣れればアウトランよりも長い時間プレイできるので、体感ゲームの中ではお得な感じではなかったか。

『ファイファイファイファイ』

実際には、Fire!(撃て)と言ってるのだが、ロックオンしまくりなのでこう聴こえる。しかしこの声はアフターバーナーには欠かせない。
そしてBGM. アウトランではドラムのサンプリング音を入れたセガの開発陣だが、アフターバーナーでは「ギターのサンプリング音を入れたかった」というのを何かの記事で読んだ。
当時のハードではメモリが限られているから、サンプリングなんてデータ量の塊を入れるのは大変だったろうと容易に推察される。
しかし、ギターが入ったことで音楽としての完成度はアウトランと比較にならないくらい飛躍的に上がった。
この頃の体感ゲームシリーズは、ゲームの最高峰を目指す、そんな気概に溢れていたように思う。

ちなみにアウトランの記事でも書いた『セガ 体感ゲーム・スペシャル』というCDでアフターバーナーの曲を聴いた時、メロディラインが付いているのだが、実際のゲームの中ではメロディラインが入ってないということに気付いたのはずっと後になってからである。それまではずっとCDと同じと思っていたのだ。何故だろう、まったく違和感がなかった。

やりこんでいるうちに、8の字(正確には横向きの8なので∞ですね)を描きながら動くとうまく敵のミサイルを避けられることに気づき、それから一気に先のステージに進めるようになった。それでもステージ14の一列で放たれるミサイルはかわし方がよく分からず、いつも運任せだった。ここが鬼門でしたね。
そのうち、1コインクリアもだいぶ安定してできるまでになり、最終的にはHit数1000までやり込んだように思う。しかし全一クラスになるとHit数1500超えるレベルなのだから、やっぱりゲーマーの人は凄い。

アフターバーナーⅡで体感ゲームシリーズの絶頂を極めたセガだが、さすがに後に続く体感ゲームは地味な印象が拭えなかった。
そして、売り上げもイマイチで場所を占める大型筐体は店から敬遠されるようになり、徐々に姿を見なくなっていく。寂しいことであるが、これも時代の流れであった。
それでも、『たかがゲーム』に惜しげも無く最高のハードとソフトを投入してくれたセガと開発陣には、今でも感謝と畏敬の念を抱いて止まないのである。

Out Run

2015.11.24 | アーケード

あなたの中で最も思い入れのあるゲームはなんですか───そう聞かれたら私は迷わず本作を挙げる。ドライブゲーム史上の金字塔、アウトランである。

アウトラン © SEGA 1986

当時の私は高校生。このゲームには恋愛に似た感情を持っていたと言ってもいい。とにかくこのゲームが好きだった。そして恐らく最もお金をつぎ込んだゲームでもある。(ちなみに女性にお金をつぎ込んだことは無い)
そもそもこの懐古ゲーム記を書こうと思ったのも、記事を復活させたのも、いずれこのゲームについて書いておきたかったからなのだが、いざ書こうとすると何から書いていいか迷ってしまう。なのでずっと後回しにしていてとうとう7年以上経過してしまった。

書くことがいっぱいあるので、テーマを分けて書くことにする。

●サウンド
VGM(Video Game Music)としても、アウトランはこれまでの常識を覆したと言っても良かった。それはドラムの存在である。
ドラム自体は、スペースハリアーなどそれ以前にもあったのだが、アウトランのドラムは確かサンプリング音で、リアル感が全く違った。
これまでアーケードゲームの音楽といえば、電子音、いわゆるピコピコ音が代名詞であった。それがアウトランによって一気にフュージョン色が強まり、単に音楽としてでも鑑賞に耐えうる楽曲に変わるキッカケになったと思う。
今聴き返すと、さすがに古臭さは否めないが、当時はこの音楽を聞きたいがためにプレイしていたと言っても過言ではない。
そしてこのサウンドに魅了された私は、MIDIの世界にも興味を持ち、どっぷりとハマっていくことになる。ちょっと本題からはそれるが、MIDIの話について少し書いておこう。

もともとコンピュータによる自動演奏には興味があった私は、高校のころからマイコンBASICマガジン(通称ベーマガ)に載っていた楽譜やMML(Music Macro Language)を打ち込んでパソコン上で音楽を鳴らしていた。
ただ、やっぱりFM音源3音+PSG3音というのは貧弱で、ピアノやトランペットの楽器の音も「なんとなくそれっぽく聴こえる」程度だった。ドラムに至ってはハイハットをホワイトノイズで代用していたのである。

そして大学生になったころに、『ミュージくん』というDTMパッケージが登場。この音を店頭で聴いた時には鳥肌が立った。リアル過ぎる。こんな音が本当にパソコンで鳴らせるのかと。
すぐにでも欲しかったが、やはり高かった。その後、廉価版のミュージ郎Jr.が出てやっと手に入れたのだが、それでも7~8万はしたと思う。
憧れの音源を手に入れてからは、ベーマガに載ってた楽譜は、片っ端から打ち込んでいた。実際プレイしたことのないゲームも、想像しながら作るのが楽しかった。
そしてアウトラン。これはもう本当に何度も打ち込み直した。ベーマガの楽譜にはドラムパートの譜面がないので、これはCDをテープに録音して、繰り返し聴いて耳コピした。耳コピしたのは後にも先にもアウトランのドラムだけである。

アウトラン楽譜

ベーマガの楽譜。今でもpdf化して持っている。※一部画像を加工しています

そんなアウトランの楽曲の中でも、一番時間をかけたのは『Splash Wave』である。4~5回はリメイクしたと思う。最後は、打ち込みソフトのメモリが足りなくなり、まとめるのに苦労した思い出がある。
確か増設RAM込みでも640KB程度のメモリしかなかったのだ。ハードディスクなど無い時代である。それでもGUIのソフトで動いていたのだから、今考えれば驚異的なメモリ効率である。
残念ながら、著作権の関係上作ったMIDIデータは公開できないのだが、なかなか良く出来たと一人悦に入っている。(自己満足)

雑誌などでもアウトランのMIDIデータは至る所で発表された。中でも一番アレンジが多かったのが『Passing Breeze』ではなかったか。
原曲は割と地味な方だったが、いろんな曲調にアレンジされ、楽曲の素材としては扱いやすかったのかもしれない。
『Magical Sound Shower』は打ち込むのが難しかった曲だ。楽譜通りに打ち込んでもイマイチ雰囲気が出ない。結局、満足な作品は出来ずに終わってしまった。

●グラフィック
アウトランのグラフィックについてだが、同じ時期にセガのファンタジーゾーンというゲームが流行っていて、自分は同じ系統の色使いだったなという印象がすごく強い。
パステルカラーを基調とした淡い色で、フォントもこれまでのゲームゲームしたやつ(言ってる意味わかるかな?)ではなく、ちょっと丸文字っぽさが入ったりして、セガのグラフィックと言えばこんな感じ、というイメージが自分の中では出来上がった時期でもある。

あとアウトランについてはやはり坂道の話が欠かせない。
登り坂で、思わず頭を上に上げたくなる(というか上げてしまう)のだが、もちろんそんなことしても先は見えない。
人がプレイしているのを見てると本当に可笑しいのだが、やっぱりそうなっちゃうんだよね。

ステージ分岐の際に、空の色がグラデーションで切り替わるのも良かった。
ただし、次のステージに進むためには、分岐の標識を通過したところで確か残りタイム12秒くらいないと通過できなかったので、もう間に合わないことが確定している場合は、わざと草むらに突っ込んでハンドルゴトゴト鳴らして終わらせるのがお約束。

●初クリアまでの道
ドライブゲームとしてのアウトランは、初クリアまでは結構な時間を要している。
全速では曲がりきれないコーナーが結構あるので、まずコースを覚えなくてはならない。しかしブレーキをかけ過ぎてもタイムを失い、関門に間に合わなくなる。安全運転過ぎてもダメなのだ。
制限時間はけっこうシビアで、初期の頃は1回クラッシュしたらほぼ挽回は不可能だった気がする。先のステージに進むほど残りタイムがジリ貧になっていくので、最初に貯金がないと「こりゃ3面で終わりだな」と薄々感じて、モチベーションが下がったもんである。

福岡天神の岩田屋屋上遊園地(現在はパルコ)にあったアウトランは、大型のムービング筐体だったが70秒設定で、見ていたら1面すら越えられない人が多くいた。確か200円設定だったから、とても自分はやる気が起きなかったが、今考えると一般の人にはちょっと厳しすぎる設定だと思う。中にはローギアのままトロトロ進んでてゲームオーバーなんて人もいた。

自分は、福岡市早良区の原ダイエー(今はイオンになっている)のゲームコーナーに置いてあった可動しない筐体で主にプレイしていた。学校の帰り道に寄って1回だけプレイして帰る、というのが日常だった。ギャラリーも少なかったから、落ち着いてプレイ出来たのである。どうしても納得行かない時だけは2回するときもあったが、100円/1プレイだったので、そんなに何回もできなかった。

その筐体は海外版で、大体いつも右側(分岐のことね)のコースばかり選んでやっていた。確か75秒設定だったと思うが、それでも3面くらいで終わることが多く、初めて4面の夕焼け面(WHEAT FIELD)に入った時は凄く身震いというか緊張したことを覚えている。
今考えてみても4面は難易度が高いコースばかりで、4面クリアまでには相当の壁があったように思う。
ただ、5面に入るようになってからは、クリアまでそう遠くなかったように思う。5面まで行ける実力があれば、距離も短いしそう難しくないのかもしれない。
だから、初めてのゴールの時より、むしろ初の4面突入の方が思い出に残っている。この、悪戦苦闘しながら少しずつ先に進む達成感が最高なのだ。その点は、ゲームの上手い人より、下手な分、より楽しめたんじゃないかと思っている。
ちなみに初ゴールは、EコースのLAKE SIDE.

●全コース制覇、そしてタイムアタックの道
初クリアしてもアウトランの魅力は尽きることなく、むしろ熱くなっていったように思う。
各ステージが変化に富んでいるので、全く飽きることはなかった。
家に帰ってからもBGMが頭の中を駆け巡り、これじゃ生活に支障をきたすと思い『セガ 体感ゲーム・スペシャル』というCDを買った。BGMを聴けば満足すると考えたのだが、いざBGMを聴くとよけいプレイしたくなってしまうという悪循環に陥り、結局私はずっとアウトランに恋したままだった。

アウトランは、安定してゴールできるようになってくると、次はゴール後の残りタイムを追い求めるようになる。というのも、残りタイムが得点にパララララッ…と加算されるのだが、残りタイムが多ければ多いほど、このパララララッ…という時間が長くなり、よりゴール後の余韻に浸れるというワケ。今日は速く走ったということをタイムだけでなく、まさに”体感”できるのだ。この演出はなかなか巧みだったと思う。

そして全15ステージも制覇し、タイムアタックも自分なりに煮詰まったように思えた。
そろそろアウトランもやり尽くしたかな…と思ったのだが、どっこいそうはいかなかった。

●ギアガチャの時代へ
ギアガチャの存在により、これまでの走りはまったく別のものになってしまった。
私の場合は、ちょうどノーマルな走りで攻略を終えたころにこの技が出てきたので、もう一度別のゲームとして楽しめる、一粒で二度美味しい状態だった。
でも、この技、裏ワザと言うにはデキ過ぎてますよね。最初からこの技を見越して作ったとしか思えないコース設定。
これまでドライブゲームでのギアというのは、ほとんどスタート時にLOW→HIに変えるだけの存在だったので、何かギアにも存在感を持たせたい、そういう開発陣の狙いだったのかも。

タイムアタックに関しては、4分40秒を切れれば上級者、という感じだった。
私はというと、全コース4分50秒切ったことで区切りを付けた感じがある。あと10秒縮めるのはとても無理だと思った。

●偉大すぎたゲーム
正直、もうこれを超えるドライブゲームは出てこないんじゃないかと思う。少なくともリアル世代でアウトランを経験した世代にとっては。あまりにも完成度が高すぎた。
30年近く経った今でも想い出は色あせないし、未だに移植版が出ているということがやっぱり凄い。
できるならもう一度実機でやってみたいなぁ、と思うゲームである。もちろんギアガチャで。

ここまで書いてきて、「そうか、自分はこんなにもアウトランのことが好きだったんだ」と気づかされた。なんだか好きな人に告白したような気分である。

ARKANOID

2015.11.23 | アーケード

※この記事は、2008.2.23 に別のサイトに掲載していたものを再掲したものです。

リメイクブームの火付け役、だったように思う。
誰もがあの地味~なブロック崩しが、こんなにもお洒落で新鮮なゲームに生まれ変わるとは思わなかったに違いない。
まさにアイデアの勝利である。私も「やられた」という思いであった。
当時ゲームはハードも進化し、複雑化する動きであったから、余計にこのシンプルさがウケたのであろう。
他社もこぞって類似作品を送り出したが、誰も初代アルカノイドを越えることはできなかった。

ゲームバランスも絶妙で、アルカノイドは私の中では数少ない1コインクリアゲームになる。
学校帰りによくやっていたのだが、ずっと中盤あたりの面で伸び悩んでいて、こんなの運ゲーだと思っていた。
ところがある日突然ひょんに1コインクリアできてしまい、なにがキッカケだったのか良く分からないが、それからはコンスタントにクリアできるようになったと思う。
単に反射神経だけのゲームではない。戦略性が高く、学習効果もある。ドラえもんの声で有名な大山のぶ代さんが1コインクリアできるというのも、やり込んだ人にとってはそう驚くことでもないだろう。それだけすぐれた完成度を誇る作品と思っている。

アルカノイド © TAITO 1986

もうひとつ、重要な思い出がある。
それはスコアネームに関するもので、私がスコアネームを決めるキッカケとなったのがこのゲームなのである。
当時よくアルカノイドをプレイしている外人さんがいて、その人のスコアネームが決まって “JJK” だった。その頃は自分より上手く、20数面くらいいっていたので、何となく意識する存在であった。
そのうち友人がいたずらっぽく自分のスコアネームを “JJK” と入れるようになり、「後から(本物の)JJKがプレイしたら “何っ!?” と言わせてやる」とか「俺の方が本物のJJKだ」などと言い始めて。
私は「本人が見たら怒るって」と笑っていたのだが、彼は「JJKってカッコイイ」と気に入ったらしく、そのまま自分のスコアネームにしてしまった。
じゃあ、私はというと、1文字変えてスコアネームを “JJM” にしましたとさ。ちなみにMに意味はありません。なんとなく見た目がよかったから、というそれだけの理由。
実際スコアネームに自分の本名のイニシャルを登録している人はほとんどいなかったはず。大抵はダサダサになってしまうから。
たかだか3文字のアルファベットだが、そこに込められたものには、人それぞれに歴史があるはずだ。が、案外と私のようにテキト~にフィーリングでつけてた人って多いんではなかろーか。

チャンチャラン♪チャララララン♪ボンボン♪ (ラウンドスタート音)

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